古都・京都の息づかいを感じる街並。

一念坂・二年坂(二寧坂)とは…

一念坂・二年坂(二寧坂)の由来

なぜ、二年坂(二寧坂)という名前なのか?

1. 大同2年(西暦807年)に坂が整備された時よりこの名前が付けられたという説。
2. 産寧坂の下なので二寧坂で呼ぶようになったという説。

では、なぜ産寧坂なのか?

豊臣秀吉の正妻(北の政所)「ねね」が高台寺に居を構えていたというのは有名な話。その「ねね」が子供の誕生を念じて(産・念)坂をあがり清水寺にお参りしていたことからその名前がついたという説。

二寧坂で転ぶと二年以内に死ぬ?!

この坂道は古くからあったが産念坂の手前の坂という意味でこの名が通り名となった。
「ここでつまずき転ぶと二年以内に死ぬ」という言い伝えは「石段坂道は気を付けて」という警句が語り伝えられたものと思われる。
「某日誌」によると「宝暦八年(1758)枡屋喜兵衛なる者、官の許可を得て、之を開拓屋地と為す」とある。以来この付近は枡屋町と称する。大正初期現在の家並みとなり国の町並み保存地域に指定されている。

竹久夢二寓居跡

明治、大正、昭和の3代にわたり、波乱の人生を送った不世出の詩人、画家、竹久夢二は大正3年秋頃笠井彦乃と出会い、運命的な恋に落ちた。彦乃は東京日本橋の紙問屋の一人娘であり、彼女を愛する父は、後継者であった娘の恋に反対であった。大正4年に結ばれた二人は互いに「山」「川」と呼びあいつつ、人目を忍ぶ逢瀬を重ね、ついには大正5年京都に逃れた。夢二を彦乃が追うようにして訪れ、短くも至福の日々をこの地で送ったのである。夢二は彦乃が訪れるまでの数ヶ月間をこの家で過ごしている。

一念坂・二年坂周辺マップ

一念坂・二年坂周辺マップ

一念坂・二年坂(二寧坂)MAP

お店のご紹介

お店のご紹介

一念坂・二年坂店舗一覧

     
   

古都に燃える会について

古都に燃える会について

運営のご紹介

古都に燃える会は、二年坂・一念坂の商店主や地域住民が集まり、
1986年にできた「二年坂・一念坂界隈をこよなく愛し、守り育てる活動」をしているグループです。

 京都東山山麓の二年坂界隈は、知恩院、八坂神社、円山公園、高台寺、八坂の塔から清水寺に至る、京都の主要な文化観光道路の一角を占めています。それは、千年の都の風土のなかで育まれた建築群と、石畳の道路が、起伏のある地形に広がっている景観であり、「文化観光都市京都」において、大きな文化的価値を持つものとして高く評価されています。
 さらに、二年坂界隈には、京都の生活があり、景観を何より大切にし、守ってる人間の息づかいが感じられる町であるという点が、その存在をより意味のあるものにしています。
 これらの特徴を持ちながら、二年坂界隈は観光商業地として、年々僅かづつですが発展して来ました。しかし、人間が住み生業を営む以上、古い景観を守るということだけで留まることはできません。この地を訪問する人の意識の変化と共に、私たちの意識もまた変革を迫られております。秀でた景観を持った、寺院周回道路としてのみ存在するだけでなく訪問者と居住者の、新鮮なコミュニケーションの場として、「常に変化し」「成長し」自立する地域でなければならないと考えております。
 私たち二年坂界隈の住民は、世界の京都、日本の京都、京都のなかの二寧坂はどうあるべきかを常に模索しつづけ、後世にこの景観と行動力をつたえていかなければなりません。
 以上の主旨にそって、私たちは、「古都に燃える会」を設立しました。

一念坂・二年坂へのアクセス方法

バスをご利用の方

清水道(キヨミズミチ)バス停下車 徒歩5分
【JR京都駅から】
   中央口(京都タワー側)市バス乗り場D2から206番
   [乗車時間約15分] 清水道(キヨミズミチ)バス停下車
【阪急河原町駅から】
   四条通から東進行の207番[乗車時間約5分]
   清水道(キヨミズミチ)バス停下車
【京阪祇園四条駅から】
   四条通から東進行207番[乗車時間約5分]
   清水道(キヨミズミチ)バス停下車

タクシーをご利用の方

運転手さんに、「東山通から高台寺に入って、料亭京大和の手前で降ろしてください」か「清水寺の下の二年坂まで」のどちらかを言ってください。

車をご利用の方

ナビでのセットは「高台寺 075-561-9966」を目標にお越し下さい。
 ・名神南インターから20分 ・銀閣寺から15分
 ・名神東インターから20分 ・銀閣寺から15分
 ・嵐山から45分 ・祇園から3分
 ・金閣寺から30分 ・京都駅から15分